東海道歩き旅(第1部、前半、1日目:6/09/2014)

本日の予定:日本橋 ~ 品川宿 ~ 川崎宿 ~ 神奈川宿

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お江戸日本橋七つ立ち 初上り
行列揃えて あれわいさのさ
こちや 高輪 夜明けの提灯消す
こちやえ こちやえ
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江戸時代には、日本橋を七つに出発したようだ。江戸時代の時刻は、日出と日入りをそれぞれ明け六つ暮れ六つむつとして基準とし、その間を6等分していたそうだ。七つとは、午前4時に相当するらしい。夜が明ける前である。2時間ほど歩いて高輪あたりで夜が明けて、提灯を消すことになる。

2014年6月9日、私は、自宅を午前6時半に出発し、まずは日本橋を目指した。午前8時には日本橋を出発しようと思っていたが、日本橋に到着してストレッチをしたり、写真を撮ったりで、出発は20分遅れになってしまった。

日本橋といえば、日本の道路の起点であり、『日本国道路原標』なるものが道路に埋め込まれている。これを写真に収めたいと思ったが、さすがに8時だと車が多すぎて危険極まりない。路端にレプリカでガマンした。

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ついでに、麒麟の翼で有名になった『麒麟像』と『獅子像』もカメラに収め、いざ出発である。8時といえば、既に通勤時間帯である。朝早くから多くのビジネスマンやビジネスウーマンが会社に向かうなか、変なおっさんがTシャツ、リュックに登山帽をかぶって歩いているのは、やけに奇妙な姿である。

そもそも、上京以来36年、銀座という場所にはとんと縁がなかった。日本一オシャレな場所を、そんな格好で変なおっさんが歩いているので、視線を投げ掛ける人も、少なくはなかった。ちと、恥ずかしかった。

本日の予定は、神奈川宿までの27.5kmであるが、川崎宿までは一度ツアーで経験しているので、気が楽である。

日本橋を出発してすぐ、ヤン・ヨーステンの記念碑がある。ウイリアム・アダムス(三浦按針)とともに流れついたヤン・ヨーステンは江戸幕府の外交や貿易の顧問になったそうで、彼の名前が八重洲の名前の元型になったとのことだ。ホームレスのおじさんが碑の横で寝ていたので、写真も撮らずに、そっと、通り過ぎた。

お祭りがあるのだろうか、神輿の準備が進んでいた。

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京橋に歌舞伎発祥の地の碑がある。昔は、座ごとに小屋を持っていて、ここには中村座が小屋を立てたそうだ。城に近すぎるということで後に移転になったようだ。

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さすが、オシャレな銀座の街、一流ブランドのショップが並んでいるが、私にはあまり縁がない所ばかりである。その中にアップルショップを発見、思わず中を覗き込んだら、店員さんがひとりいて、怪訝そうな顔をして見返してきた。マズイマズイ!

時間がないので先を急ぐことにして、ツアーのとき行った増上寺はパスして、JR田町駅近くの『勝西郷会見の地』へ。幕末、江戸城開城の交渉が行われた薩摩藩蔵屋敷があった所らしい。今は三菱自動車のビルだったように記憶している。立派な碑が建っている。

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さらに、先に進むと、JR田町駅とJR品川駅の中間ぐらいの位置に、高輪大木戸跡がある。大木戸とは主な街道の江戸内外の境に設置された関所で、甲州街道の四谷大木戸、中山道の板橋大木戸と、ここ東海道の高輪大木戸の3ヶ所が主なものだったそうだ。写真は左が北側から、右が南側から撮ったもの。

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次は、赤穂浪士で有名な泉岳寺。境内に入る手前には大石内蔵助の銅像がある。ツアーのとき解説のひげの梶さんこと梶本晃司さんがおっしゃっていた。 「12月の14日には大変大勢の方々が、線香を上げに来られる。でも違うんです。12月14日は吉良さんの命日であって、赤穂浪士の命日ではないんです。」確かにその通りだ。

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泉岳寺を通り過ぎると、すぐにJR品川駅。もうすぐ、一番目の宿場である品川宿だ。有名な話だが、品川駅は品川区にはない。いわゆる昔の品川から外れた場所にある。京浜急行では品川の南に北品川駅がある。この北品川駅近辺が、昔の品川宿になるそうだ。品川宿は中を流れる目黒川を境に北品川と南品川に分かれていて、目黒川には品川橋が架かっている。この橋は、昔は境橋と呼ばれていたそうだ。下の真ん中の写真は、ツアーのときに撮った写真だが、青空がきれいなので、ここで使うことにする。ここ品川宿でも、銀座と同様にお祭りの準備中だった。

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ちなみに、ツアーでは日本橋からこの品川橋の手前で一日の行程が終了だったが、本日はツアーの3日分を歩くため、急ぎ足。日本橋から品川橋まで、2時間20分だった。

品川橋を過ぎると、右手に品川寺(ほんせんじ)があります。弘法大師空海を開山とする古いお寺で、洋行帰りの梵鐘や江戸六地蔵の一つである地蔵菩薩坐像(下の右の写真)がある。

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品川寺の少し先で品川宿が終わりになる。各宿場の両端に土居あるいは見附と呼ばれる木戸や石垣があったようだ。江戸側を江戸口あるいは東、京都側を京口あるいは西と区別して、江戸口見附や京口見附のように呼んでいた。品川寺の先にこの京口見附があったらしい。その道標があるはずだか、残念ながら見つからなかった。時間が厳しいので、後日探すことで先を急いだ。

品川宿を後にして、しばらく行くと浜川橋がある。江戸で捕まった罪人がこの先にある鈴ヶ森の刑場に連れて行かれるときに、縁者が影から見送った橋で、泪橋と呼ばれたそうだ。その先に鈴ヶ森の刑場がある。名前は以前から知っていたが(そう、昔は時代劇が多かったから)、こんな所にあったのだ。まさに東海道の道ばたである。旅人が皆、処刑された者を見ていくことになる。抑止力を狙って曝したのかな。夜は怖くて歩けないね。

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街道といえば、すぐ連想するのが一里塚である。日本橋を出発して10km以上歩いたが、まだお目にかかっていない。後から調べてみると、一つ目の芝、ふたつ目の品川の一里塚は、江戸中期には無くなっていたようだ。3つ目は大森に、4つ目は六郷にあったのだが、残念ながら、その跡を示す物にお目にかからなかった。ツアーでもらった地図には印があるので、もう一度探しに行ってみたい。

そうこうするうちに、多摩川である。今でこそ立派な橋があるが、その当時は渡し船だ。有名な六郷の渡しである。多摩川といえば東京都と神奈川県の境で、ここを渡ると東京都を通過して神奈川県に突入となる。

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ツアーのとき「でも、昔はこの川を渡っても国境を越えなかったんですよ」と言われた。多摩川の向こうも武蔵野国だそうだ。では、昔の国境はどこだったのだろうか。なぜ明治になって国境が変わったのだろうか。この辺は、インターネットで調べてみると、いろいろ出てきました。そのうちの一つがこれ

第1京浜で多摩川を渡ると、川崎側に六郷の渡しの碑があった。

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六郷の渡しの碑の先に、旧東海道右折の案内板があり、その案内にしたがって第1京浜の下をくぐり川崎駅方面へ進む。すぐに、下の左の写真にある旗が電柱に掲げられているのが見えた。川崎宿に到着だという実感がわく。よく見ると旗の下に『東海道川崎宿2023』と書いてある。川崎宿は、江戸時代に他の宿場に遅れて1623年にできたそうで、400周年の2023年にむけて、『東海道川崎宿2023いきいき作戦』という活動を展開しているそうだ。左から2、3枚目の写真にも、『東海道川崎宿2023』の文字が見える。4枚目の案内図を見ると、川崎宿にはいろいろ見る所がありそうなのが分かる。今回は時間がないので、いずれまた訪ねてみたいと思った。

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ここで、前回ツアーの2回目で歩いた、品川宿から川崎宿までを歩き終えた。品川宿から3時間であった。この先は初めての行程である。期待しながら歩を進める。

川崎駅南口から東南へ伸びる道と旧東海道が交差するあたりに、以前この辺にあった小土呂橋(石橋)の親柱が保存されている。

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小土呂橋を過ぎた所で、上に書いた見附や土居に関する案内板を見つけた。川崎宿の京口土居があった場所の案内板である。WEBで手に入れた旧東海道の案内図では、川崎宿は六郷の渡しを渡ったすぐの所から始まっているようなので、その辺りに江戸口土居があったのだろう。残念ながら、案内板は見当たらなかった。

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次に見えてきたのが、京浜急行線の八丁畷駅そばで線路と交差する手前にある、松尾芭蕉の句碑である。芭蕉が伊賀に帰るとき、弟子達との別れを惜しんで川崎宿で詠んだ句らしい。

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京急線と交差した直後、線路わきにお地蔵さんと慰霊塔が見えた。案内板には江戸時代の人骨が出てきたとあり、無縁塚らしい。

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鶴見川が近づいてきたところで、この旅初めての一里塚に遭遇した。市場の一里塚と呼ばれているもので、日本橋から5つ目の一里塚になる。一里塚は、土を盛って塚を作り、その上に木を植えた物らしい。案内によると、ここでは榎を植えていたそうだ。

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鶴見川を渡って少し行くと、右側に石碑がある。案内板に『鶴見川関門旧跡』とある。幕末、横浜港を開港したあと、尊王攘夷派の武士が横浜の外国人に危害を加えようと、集まって来たため、横浜に入る者を取り締まるのを目的に関門を設けたようだ。上記、川崎宿京入口の案内板にも、同様な記述がある。幕末の外国人をめぐる不穏な空気が感じられる記述である。

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この『鶴見川関門旧跡』の石碑の近くに、『寺尾稲荷道』の道標がある。昔、寺尾道と呼ばれる道路があり、現在の東急東横線の菊名辺りまで続いていた道だそうだ。途中にある寺尾稲荷詣でに用いられた道であったので、寺尾道と呼ばれるようになった。現在この寺尾稲荷は馬場稲荷と名前を変えている。この石碑はレプリカで、当時の道標は鶴見神社の境内にあると、案内板に書かれている。

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寺尾道の道標を過ぎて約3kmほど行くと、かの有名な生麦事件の碑がある。現在は、碑があった場所が工事中で、別の所に仮置きされているようである。しかも碑のあった場所と、事件現場はまた別の所らしい。上記の鶴見川関門などのかいもなく、このような大事件が起きてしまったと言うことなのだろう。中学生の頃習った大事件の場所を、四十数年後に訪ねることになったというのは、感慨深いものである。

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さらに2kmほど進むと、神奈川宿の江戸口見附があったところになる。時間も四時半を過ぎ、日本橋から約30kmを歩いているので、体力的にも限界に近づきつつある。周りを見ながら歩くというより、ただひたすら足を前に出すだけになってきたので、横浜駅近くの地点で本日の予定終了とした。

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このあと、関内のホテルを予約して午後5時半にチェックイン。ホテルに大浴場があったので、浴槽の中でストレッチをして、筋肉を休めた。(筋肉痛なし!)

本日のサマリ。スマホのアプリ『cyclemeter』で日本橋からの移動距離と移動時間はかってみた。移動距離は34.3km。移動時間、6:20、停止時間 2:13、合計8時間33分。

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